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BEAUTIFULLY CRAFTED SURFBOARDS THAT ARE UNIQUE IN STYLE AND PERFORMANCE

マーク・リチャーズ

オーストラリアはニューカッスル出身のMRことMark Richards(マーク・リチャーズ)。

70~80年代前半に活躍し、世界中にツインフィンのセンセーションを巻き起こした、4度のワールドタイトル&ツインフィンマスター持つ伝説のレジェンドサーファーでもあり、1994年には、サーフィンへの貢献により、その業績を称えるオーストラリア勲章(OAM)を栄誉され、またニューカッスル大学からの名誉博士号を獲得しています。2001年には、競技に復活し、アイルランドで開催された、ワールドマスターズ選手権による40以上の部門で、見事に勝利を勝ち取り、地球上でより多くの世界タイトルを持つ唯一の男、そして歴史上もっともケリースレーターに近い男となりました。

マーク・リチャーズ

1980 Retro Pro Twin

マーク・リチャーズがプロデュースする、 スーパーブランド1980レトロプロ 。
いまや日本では入手不可と言われてる 大変に希少価値の高い、MRサーフボード。
当時トライフィンシステムが主流だったサーフィン界にツインフィンボード旋風を巻き起こし、シングルフィンやトライフィンとは違った、新しいスタイルで自由なラインを描く事ができるフィンシステムとして瞬く間に世界に広がりを見せました。

MRがシェープを始めて40年以上、今までに削ったボードの数は数千本以上にのぼり、そのシェ-プしたボードの中にも、ヴィンテージボードと呼ばれるプレミアムボードがあり、そのボードは、当時のサーフカルチャーは勿論、当時の歴史的背景を理解する上で、とても欠かせないものでした。

サーフィンの歴史を通して知ることで、技術が発展し、短くてシャープな最新のボードでは得ることが出来ない、新たなサーフィンの魅力やスキルアップが図れるかもしれません。

知れば知るほど奥が深いヴィンテージボード、それは、決して波に乗るためだけがヴィンテージボードの楽しみ方ではありません。部屋に飾ってインテリアの一部として、デザインやカラーリングを鑑賞して楽しむのも、これもまたヴィンテージボードの楽しみ方の一つです。

触れ合い方も、これまた自由で良いのがヴィンテージボードの魅了です。
実際に乗るのも良し、家に飾ってお宝と言うのも良し、是非あなたの思い出に残るプレミアムボードを手に取って体感してみて下さい。

Mark Richards Story

マークリチャードは、プロサーファーの中では、最も変わったスタイルでサーフィンする人物であった。

MRは、このユニークなスタイルで、驚くべき事に、4回連続してワールド・タイトルを手にしているのだ。

当時のMRのニックネームが“傷ついたかもめ”と呼ばれていました。実はその由来は、ある日の事、オーストラリアン・ジャーナリストである、フィル・ジャレットが、MRのライディング中に、腕を伸ばしている姿が、まるで“傷ついたかもめ”のようだ、と言った事が、きっかけのようでした。恐らくあれほどの腕を伸ばし、まるで鳥が羽ばたくような優れたライディングをしたサーファーなど、彼の他には誰もいなだろう。MRにとって、そんな動作も彼の独特のなスタイルであり、そうすることにより、波の上で絶妙なバランス感覚が保てるからだ。1979年から1982年のかけて、彼のバランス感覚と成績は、他の誰よりも秀でていた。

スタイルにしてもショーン・トムソンやラビット・バーソロミュー、シェイン・ホランなど、他のサーファーに対抗して、MRのライディングは、全く違う種類のものだった。そして1979年に彼が最初のワールド・タイトルを獲得した年に、MRは13戦中9試合にしか参戦しなかったにもかかわらず、他のサーファー達をリードしてタイトルを手に入れているのだ。

MRはシドニーの南にある鉄鋼の街、ニューキャッスルで育ち、父親のレイ・チャールズは、サーフボードのシェイパーでもあり、その産業の活発な町で、サーフショップを経営していた。そして1967年にMRは6フィートのボードを父親から与えられ、その4年後に、ゴールドコーストのポイントを訪れ、グリーンマントやレインボウ・ベイでライディングを学び、そこから、世界に向けて名を知れるサーファーと大変身したのである。そして1973年には、アメリカとオーストラリア両国による、ジュニア・タイトルを獲得した。またMRは4度のワールド・タイトルを獲得して有名になっただけではなく、ツインフィンの大家としても名を知れた人物である。その発端は、オーストラリアのテリー・フィッツジェランドとジェフ・マッコイからツインフィンを与えられたことに始まった。その時、MRはかなり器用にボードをコントロールしながらライディングをこなしていたが、そのボードの幅広さと、丸いテールの原因により、波の大きな時に、しばしば問題が起きていたのである。しかしツインフィンに魅せられたMRは、何年もかけて研究を重ね、ツインフィンの改良に取り組んだのである。その頃、世界の有名サーファー達やハワイのベン・アイパまでが、MRの動向に注目をしていた。そして時間をかけ、MRは理想のツインフィンを心に描きながら、自分自身でシェイプを始めたのである。そして1978年に、ハワイに向かったMRは、とてつもなく巨大な波がブレイクするサンセットでサーフィンをした。それを見ていた誰もが、奴は気が狂った、クレイジーだと、叫んだ。MRは、その数年後に彼のツインフィンがサーフィン界に、多大な影響を与えるようになるまで、ボードを改良し続けた。そして、その時に誰もが気付いた事は、ラディカルな方向転換は波のどこのフェイスでも可能だという事だった。結果、彼はサーフィンという概念を、変えてしまったのだ。MRが過去数十年間、現在に至るまで、サーフィンの発展に関して、どれだけ重要な役割を果たしてきた事かが、良く分かっていただけただろう。現在もMRは、自分の生まれ故郷、ニューキャッスルに住んでいる。今日のサーファーには、彼がいかに特別な存在なのかは、解らないかもしれないが、しかし確かに言える事は、サーフィンの歴史的人物において、批判を浴びた時代でも、彼の業績は、これからも大いに語られ続けるであろう。

MRからの一言

私は、自分の生まれ故郷オーストラリアは、ニューカッスルに拠点を置いており、未だサーフボードの製造業を営んでいます。そして私の1日の時間は、フォームを削ることから始まり、時間があれば、極力海に入るようにしています。私は、未だプロサーフィンに関わっているので、現役のプロサーファーが、どんなボードに乗っているのか、そして、今後、彼らはどんなシェイプされたボードに乗りたいのかを直接知っています。また私には、貢献できる素晴らしいチームメイトがいて、私のボードについて常にフィードバックをくれます。私は、他のサーファーから、受け取ったフィードバックと、自分自身でデザインしたボードを元に、様々なポイントでのパーフェクトブレイクから始まり、自分のホームブレイクであるミアウェザービーチブレイクに至るまで、自分自身でデザインしたボードを試し、これら全てが自分の経験に基づき、それを参考に、常に自分のデザインを改良し、研究開発している日々を送っています。私は今まで、アメリカ、日本、ハワイ、フランス、モルディブ、メンタワイ諸島などを旅行してきましたが、私が確信して言える事は、私のボードは、これらのさまざまな条件でのポイントで、全て信じられないほどのパフォーマンスを発揮しました。

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